★★☆☆☆ 書評 【光圀伝】 -冲方丁
好きな方が多く、他の書評サイトでもかなりの高評価なので、オレのほうがマイナーな意見だとは承知している。
が、言いたい。
ムダ肉が多いせいで、一番大事なところがぼやけている
・部分ごとでは、面白い。
・表現もこなれていて、わかりやすい。
・キャラクターも立っていてる。
なので、十分これだけでも高評価であるのは理解できる。また文章が読みやすいのであまり本を読まない人にもこれだけの長編を読ませる力がある。
しかし
しかし
全体を通してみた時に、統一感がない。徳川光圀のイメージが場面によって異なる。
徳川光圀、と言う一個人のバラエティに飛んだエピソードはあるが、それをつなげる一本の芯がない。
いや、大義という芯があるじゃないか、と思われるかもしれませんが、これが弱い。
彼の大義って?筋?順番通りに物事を進めること?それが大義?
まずここで躓いているのですが、まあとりあえず、それとして。
じゃあこの順番通りと言う基準が他の場面で見ることができるのか?オレは見れない。彼の大義は跡目問題にだけ発揮され、他の場面で感じることがない。
他の場面では傍若無人な振る舞いをしているのに、兄と跡目問題にだけは筋を通したいように見える。
儒教についてもよくわからない。理解できない。
仏教と何がちがうの?いや、オレ個人の理解ではなく、この光圀伝の中で。
仏教の何が悪くて、儒教の何がいいのか?
なぜ、光圀はここまで儒教にはまってるのか?
自分の境遇と似たお話があり、その話に感動したから?
歴史的経緯は説明があった。でも思想的な説明が少ない。
歴史小説というのは、「史実」と言う動かせないポイントがあって、そのポイントを彼はどういう気持で通過したのか、どうしてその行動を起こしたのかを書くものだと思う。
その行動が納得できるかできないかが大事だと思うのだが、冲方丁の書く歴史小説では主人公の行動理由が場面ごとにブレるのだ。
思うにその理由の大きいところとして、余分なものが多い。ムダ肉贅肉が多い。
ある面白いエピソードがある。しかし、それは物語を通して書きたい主人公の本質とあまり関係がない。
それを書くか、書かないか。作者の個性が出るところだと思うが。
冲方丁は書いている。
その場面としては面白い。でもそのせいで主人公がぼやける。
美味しいからと魚料理に肉を加える。結果、まとまりのない料理になる。そんなイメージだ。
これが、一般的評価とオレの評価のズレの原因だと思う。
具材ごとに食べると美味しいけれど、料理としてはいまひとつ。
実は、天地明察読んだ時も同じように思った。無駄を削ろう。面白いエピソードであっても、全体のバランスを見た時に崩れるおそれがあるのなら削ろう。
ということで、ぜひアマゾンでお買い上げください。