【考察】キングダム 合従軍侵攻 - 函谷関攻防戦 ★★★★☆ 函谷関と咸陽
羌瘣が抜けておっさん臭あふれる中、娘軍師こと河了貂が参入しました。
テンちゃん、かわいくなった・・・
さて、戦場となった函谷関。信もテンちゃんも初めてみたような顔してますが、そんなわきゃーない。
基本的に秦の首都である咸陽から出て国境までススムためには、函谷関を通ることが多いはず。何回も通ってるはずですよ、きみたち。
昌平君ほか参謀が鼻血を出してシミュレーションしてましたが、函谷関が一番に思い浮かぶはずだし、そのための関だし。まああれは戦場は函谷関と決めた後の配置とかを検討してたんですかね。
三国志が好きな人は「関中」とか聞いたことないですか?長安は?
※「漢中」ではない。微妙に異なる。
実は函谷関から西、秦の首都である咸陽がある地域を関中と呼び、その咸陽の郊外が発展したのが長安、後の前漢の首都です。
咸陽は戦争被害で荒廃してしまっため、劉邦がその郊外に新たに作った町が長安で、その後も隋・唐の都となります。玄宗皇帝と楊貴妃が暮らし、若き日の空海が学んだ、そう、あの長安です。
函谷関が作られたのは紀元前361年ですので、合従軍による進行の120年前ですな。
この函谷関が有名になった事案としては孟嘗君の次の故事が有名
紀元前299年なので合従軍の50年ほど昔の話。
こののち、劉邦は函谷関を避けて別ルートで咸陽をおとし、項羽が破壊してしまったそうです。
ちなみに、キングダムでは謎の多い国となっている燕の首都が薊(けい)であり、現在の北京となっています。