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自分が40代になったことが信じられない40代のために!

【書評】QED 六歌仙の暗号 高田崇史 ★★☆☆☆

 

 

 

奈々ちゃん、タタルを信用しすぎ。聞いたことをそのまま驚くばかりじゃ悪い男に騙されるぞ!
高橋克彦の「竜の柩」でも思ったのだが、探偵(的ポジション)が謎を解き明かす場面になると、聞き役が「なるほど!」「そうだったのか!」「これで全部説明がつく!」と感心しているのを読むと引いてしまう。もっと疑って検証して欲しい。

 

 

 

さて肝心の内容についてだが前作「百人一首の呪」と同じく、殺人部分と人文学的謎の解明に大きく分かれる。前作の比率が2:8だったとすれば、今回は3:7と言ったところか。前作に比べ関係がスムーズになっておりこの部分については無理がない。

だが、それぞれに見てみると無理がある。

 

以下ネタバレあり

第一の殺人事件の密室の謎については、まずありえない。密室と思われる部屋で不審死が出た場合、当然ながら警察が「本当に密室だったのか」という調査をする。実際に鍵がかかっていた扉を蹴破った場合、鍵部分に負担がかかっており金属部分が折れるなり曲がるなりする。しかし鍵がかかっていない扉を蹴破っても鍵部分は損傷してるはずもなく、直ぐに「鍵がかかっていなかった」との結論が出るのは間違いない。
結果、「鍵がかかっているフリをした人物」が犯人だとわかってしまうだろう。

また、これはメタ的な話になるが、殺人現場に二人の人間がおり、片方が一人称で書かれていて犯人ではなかった場合、犯人はもう一人である。ここは三人称で書くべきだった。

 

ホテルで貴子が襲われた場面についても、「チャイムを押してドアを開く刹那に」とあるけど、チャイム押して直ぐドアノブ回すかという疑問。チャイム鳴らして返事を待って、返事ないときにようやくドアノブ回すのでは。十数秒は十分時間あります。

 

七福神六歌仙の謎については、基本的に面白いのでそうであって欲しい。

 

ただし、タタルの説明・解明部分において納得できない部分や、ミスリードと思われる部分があり不満が残る。

 

深草少将が仁明天皇ではないかと黒岩涙香が指摘しているとあるが、この説はほぼ無視されている。実際には僧正遍昭説の方がまた可能性が高いくらいだ

 

藤原元方のようにならないために、との表現が何箇所かあるが元方の方が後の時代の人である。もちろん作者もそれを知っており、「村上天皇の時代」とちゃんと書いているが、後の時代であることをぼやかしており不満がある。

藤原元方 - Wikipedia

 

・菊は天皇とみるべきだ、との発言も無理がある。菊は古今和歌集になってようやく和歌に歌われる。この頃に中国から入ってきて珍重され始めたばかりであり皇室を指すとは思えない。現代の我々に馴染み深い十六弁の菊花紋章は鎌倉時代後鳥羽上皇が好んで使ったことから皇室の紋章となったと言われているが、即位したのは12世期、この平安前期よりおよそ300年後のことであり、時代が開きすぎている。

キク - Wikipedia

日本にはタンポポなど多くの野菊(下記「キク科」参照)が自生するが、家菊・栽培菊は日本になかった。『万葉集』には157種の植物が登場するが、菊を詠んだ歌は一首もなく、飛鳥時代奈良時代の日本に菊がなかったことを暗示する[6]。中国から奈良時代末か平安時代初めに導入されたと推定される[7]。平安時代に入り、『古今和歌集』あたりから盛んに歌にも詠まれるようになった[8]。

『和名類聚抄』(10世紀前半成立)巻20「草類」における菊の和名表記として、「加波良與毛木」(カワラヨモギ=河原蓬)が記されている。

春の桜に対して日本の秋を象徴する花となるが、それが決定的になったのは、鎌倉時代の初め後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、「菊紋」を皇室の家紋とした頃からである。また、平安時代に藤原から改名した九州の豪族菊池氏も家紋に「菊花」もしくは「菊葉」を使用している。

 

・佐木と木村が「畑違いの二人がどうして家族ぐるみで仲良くなったのかその理由が判然としない」理由が、佐木は「木村を助ける」家なのでというのがもうすごい。1000年以上も前の先祖の影響じゃないと同じ大学の教員同士が仲良くなってはいけないのだろうか。

 

その他書きたいことはいくらでもあるが、多々矛盾点等が多く、また作者はわかっていながらミスリードしていると思われる部分も多い。誰かに似ているな、と思ったら参考文献に高橋克彦の名前が。正直この人の本を参考にしているだけで信頼度が大きく下がる。小説家としてはともかくだけども。

百人一首と比べ、小説の構成としてはレベルアップしているが、辻褄を合わせるために無理な推理や強引な展開が目に付く。
文章力は相変わらず高く、最近の若手作家の文章を読んでいるときのようなイライラがないのは、とても良い。

もういっそ、殺人事件を絡ませず書いて欲しい

 

 

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【書評】QED 百人一首の呪 高田崇史 ★★★☆☆

 

 

 

時間があったので数年ぶりに再読。
初読の時も思ったが、とても読みやすく状況説明等もわかりやすい。

 

ただ、それに反して人物の外見的特徴に対する説明がほぼなされておらずイメージが掴みにくい。身長体重、髪型、服装やクセなどを入れてほしかった。

 

作品のうち、6〜7割を占めるのが「百人一首の謎」についてなのはよいのだが、それが事件解決に繋がっていないのは気にかかる。
百人一首の謎が解けても、解けなくとも犯人探しに影響がない。
京極夏彦とよく比較されるが、こちらは一見関係のないように思える人文学的与太話が最終的に事件解決に繋がっており、完成度としてはやはりこちらが上。

 

 

井沢元彦の逆説の日本史が好きな方は、この百人一首の謎について気にいると思う。
井沢元彦京極夏彦を足して割ったと言うのは的を射た表現。

 

 

また殺人事件についても、最終段階で目撃者の特殊な事情が明かされ、それが犯人特定の妨げとなってとなっているなど、ミステリーとして不満が残る。

 

こう言ったことは事前に読者に開示するなり、匂わせておくべきであった。エラリークィーンではないが、探偵と読者はできるだけ同条件で事件解決に臨みたい。
再読なのでネタは知ったうえで読んだのだが、目撃者の特殊事情についてはそれを思わせる記述はないと感じた。

 

この本以外にも、六歌仙と伊勢を読んでいるが、ここまで殺人事件と関係のない構成ではなかったので、多少は考慮したのだと思う(六歌仙についてはトリックがちょっとアレすぎたが、それはそちらにレビューしたい)

発刊からもう20年以上経っている小説なので、新たに読まれる方も少ないだろうが、それなりにオススメ

 

 

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【書評】QED 式の密室 ★☆☆☆☆

 

 なんと言うか、あまりにも偏っている。
まず菅原道真と通りゃんせについてはひどい

三芳野神社はそもそも菅原道真を祭る「お城の天神さま」であり地元でそう呼ばれている。隠れてお参りするもなにもない。お札をおさめにだろうが何だろうが、そもそも天神さまなのである。

www.kawagoe-yell.com



・菅原氏の祖である土師氏は「連(むらじ)」であり、藤原氏の祖である中臣氏も同じく「連」である。連はヤマト政権時代から続く中央豪族であって神々の子孫であり、決して出自が卑しいわけではない。

 

・土師氏の「土」について「いい意味ではなかったようだ」と言っているが、「土」には蔑む意味合いはない。名前の由来は土を使う古墳造営担当職である「土師職(はじつかさ)」という職に就いていたためであり、「土」を扱う「師」であってその読み方以外になんの不思議もない。また古墳造営担当であるから埴輪に関わることも不自然ではない。

 

野見宿祢の「野見」も、古墳造営の場所探しのために「野を見る」と言う説がある。また当然この字にも蔑む意味合いはない。

 

・菅原氏は決して卑しい出自ではないが儒家であったため家格は低かった。道真の時代では藤原氏(特に北家)が他の氏族を排斥する過程にあり、藤原氏専横に抵抗している立場である。藤原氏は866年の応天門の変を経て人臣初の摂政、887年関白となる。当時道真の娘婿が皇位につく可能性もあり、藤原氏独占に邪魔だったため道真排除となった。

 

・「27年もたってから」道真の祟りとするのはなぜかと言っているが、903年に道真が死んだあと、908年藤原菅根病死、909年藤原時平病死、913年源光溺死、923年保明親王東宮。時平の甥)21歳で即位前に死去。925年慶頼王保明親王の第1皇子。時平の孫)が5歳で死去。そして930年が清涼殿落雷である。27年間何もなかったわけではなく、数年ごとに昌泰の変で道真を陥れたとされる関係者が没している。当時の人間が「祟り」と恐れるのも無理はないし、それだからこそ天神さまとして神様に祀り上げ祟りを収めてもらおうとした。

 

虐げられた人がいることを強調するために、菅原氏を「出自が卑しい」としているが前述のように明らかに違う。
また「天神さま」となって以降はそのお参りを欠かさないことこそが祟りを収める正しい手段である。日本人なら無意識に納得できると思うが、お祀りしないのが一番悪い。再び天災が起きる原因となる。ご先祖様でさえ「お墓参りがない」と言って怒るのだから、神様にお参りできないようにしてどうするのか。隠れないとお参りできないなど神様を怒らせるばかりじゃないか。

 

「歴史の事実を知れば」など、奈々ちゃんに説教しているが、この作者こそ歴史の事実を隠し、自分の都合のいいように解釈している。

 

今までこのシリーズは何作か読んでいて、その都度突っ込みを入れているが、今回のは笑えない。笑えない一番の理由は自分の主義主張のために事実を覆い隠しているからである。事実を列挙したうえで「こう考えることもできる」ならいい。しかし事実を覆い隠し捻じ曲げたうえで「真実はこれだ」はあまりにも読者に対して不誠実でありばかにしている。

 

また式神の正体についてだが、三位以上の人達は家でだれに着替や食事や巻き割りや牛車ひきをやらせていたのだろうか。五位以上の人にでもやらせていた?そんなばかな。かならず位階のない人間を使っており、その点で安倍晴明と同じである。
貴族以外の人間を人間とみなさないことはあっても、そこに「いない」とはならない。

 

今まで読んだQEDシリーズで一番の低評価である。

 

この本や他のQEDシリーズを読んで歴史の真実を知った気になるのもわかる。でも「目からうろこ。気づいてみたら当然のこと」などと言っている人は、まずこのシリーズで上げられている「事実」とやらを疑った方がいい。シリーズのほかの作品でもほかの方がレビューされているが、資料に間違いが多い。さらに恣意的に事実を隠したりもする。

 

書かれていることをそのまま信じるのであれば、中高生の時に歴史で学んだことを信じ込むことと何が違うのか。別のうろこに付け替えただけじゃないか。

 

ただ読む本が変わっただけで、教えられたままを信じていることに変わりはない。

 

この本をきっかけに歴史や民俗学に興味を持つのであればいいが、この本に書かれていることがすべて信じてはいけない。間違いもごまかしも多い。確かにハッとする推論もあるが、その前提となる「事実」とやらが信用できない時がある。

 

自分で調べもせずに小説を信用するくらいなら、歴史の教科書を信用したほうがいい。少なくとも教科書は何人もの専門家が検証している。

【マンガ】ゲッターロボの世界観について

 

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ずいぶんとほったらかしてしまってたゲッターロボですが、アークがアニメ化ということで久しぶりに書いてみようかなあとか思ったり

 

 

 

正直に言うと、ゲッターロボの世界観においてアークはあまり好きではないのです。

なぜかというと、流竜馬がいないから。

 

ゲッターの世界で竜馬がいない。これは納得できない。なぜなら

 

ゲッターロボとは、ゲッター線が竜馬個人にべたぼれしたので、ほかの生命体全部ぶっ殺して竜馬のための世界を作る話

だからです(個人的感想)

地球人類すら竜馬のおまけに過ぎない。そのために人類は将来的にゲッターロボと一体化させてもいい。すべては竜馬のために動いている究極のヤンデレ、それがゲッター線。

 

恐竜帝国も、百鬼帝国も、基本的にゲッター線によって絶滅の危機に追いやられている。なぜか。それはゲッター線が竜馬のためにほかの危険な種族を絶滅させようとしているから。

 

 

地球人類じゃなくて、竜馬個人なの?という疑問もあるかとおもいますが、竜馬個人です。狂気と執着が石川賢の神髄だと思っているのですが、ゲッター線は石川そのものかもしれません。