ノルウェイの森 ★★★★☆ ラストの落着きの悪さがなんとも。
思いっきりネタバレしていますので、これから読むつもりの人はやめた方がいいです。
------ネタバレ防御ライン-------
ラストの落着きの悪さがなんとも。
ミドリとどうなったか、どうなったと思うかで違うんだよねきっと。俺は…ダメだったと思う。
小説の最初に直子の事が忘れられない、でも忘れて行く自分を悲しく思うシーンがあるじゃないですか。
あれは20歳の時から未だその衝撃から逃れられていないって事だと思うんですよね。負<マイナス>である直子の影響がにあるんだと。正<プラス>であるミドリとその後を過ごしたのであれば、もう負の影響から抜け出していていいんじゃないでしょうか。
いまでも僕はノルウェイの森を聞くとどうしようもなくなるのは、直子を忘れられていないからだと。
キズキが自殺した理由って明確にはならなかったけど、直子が原因なのかなとも思う。半分くらい。
キズキが死んだから直子の負が発動したのではなくて、直子が負だからキズキも自殺したし、直子も自殺した。ワタナベは心の一番深い所に殻があって、その殻のために自殺には至っていない。
と、そんな気もする。
ミドリってのは周囲の死に引きずられてはいないんですよね。それはワタナベと同じく死は生の対極として存在するのではなくて、生の一部として死が存在する事を感じている。病気や結婚や出産と同じく死がある。死は人生の一つのイベント。でもきっと直子にとっては死はゴールであり最終目標であるのではないか。死に至るための生。死ぬために生きている。
生は死によって終了する。野原にぽっかり空いた井戸、あれは死の象徴?いつ誰が落ちるかはわからず、落ちたあとも苦痛が続く?誰もその場所を知らず避けようがない?一人叫んでも誰も助けにきてくれない。
これは直子の死のイメージ?
助けに行くといったワタナベに何もわかっていないと伝えた直子。
二人が見ているゴールは同じところにはなくて、二人で散歩することそのものに喜びを見たワタナベと、見えない井戸を探すために散歩する直子。直子は自分がワタナベより先に死ぬことを知っていた。だから忘れないで欲しいと言った。
キズキは先に井戸に落ちた。それはしょうがない。井戸は一人で落ちるものだから。直子も落ちることが見えている、わかっている。それまでの間ワタナベがつきあってくれたことはとても感謝している。キズキがいなくなった後、井戸までの道を一緒に歩いてくれたことは感謝している。一度は井戸に落ちないまま二人で歩いて行くこともできるかと思った。けどダメだった。それは自分の半身たるキズキが自分を待っているから?キズキと同じ行動をすることが彼女の世界のすべてだから?
ワタナベとこのまま歩いて行くと言うことは、19年間の人生が間違いだったと認めること。キズキが死んだのも間違いだった。自分が思っていたすべてが間違いだった。それを認めない限り、直子はいつまでも井戸を探しながら歩くことしかできない。
そして結局直子は自分から井戸に落ちた。それはもうそれ以外に選べなくて、そうなったのだとそう思うしかない。
これは恋愛小説とかではなくて悲劇。負のままに周囲に影響を与えそのまま死んでしまった直子の話。直子という負に出会ってしまったワタナベの悲劇だと僕は思いました。