新三河物語 ★★★☆☆ 残念ながら彦左衛門は頭がよすぎる。
新三河物語 上
「永禄3年(1560年)、織田信長の急襲に遭って、今川義元は桶狭間に斃れた。義元に頤使されていた松平元康(家康)は父祖の地、西三河は岡崎城に戻り、悲願の独立を果たす。だが息継ぐ間もなく、一向一揆が勃発。血縁者が敵味方に分かれ、相争う国力消耗の未曾有の事態から家康を救ったのは大久保忠俊(常源)だった。忠俊率いる大久保一党の決死の進退が深く胸を打つ戦国歴史小説の巨編。 」
新三河物語 中
「徳川の駿河以東への進撃は、武田の南進によって阻まれた。三方原合戦―家康の前に信玄が立ちはだかる。潰滅的惨敗を喫した家康だったが、天祐ともいうべき信玄の死により再起する。武田勝頼との決戦、長篠合戦において大久保忠世・忠佐兄弟が見せた獅子奮迅の活躍は、信長を驚喜させ、家康の嫡子信康に両雄への憧憬をもたらせた。しかし、運命は極めて残酷な旋回を見せたのだった。 」
新三河物語 下
「本能寺で信長が斃れ、天下は秀吉が簒奪した。大久保一族では彦左衛門が成長し、忠世・忠佐の奪戦を支え続けた。上田攻めでは真田昌幸、大坂の陣では幸村の深謀に苦戦しつつも彼らの忠義は一瞬たりとも揺るがなかった。やがて、家康は天下を掌握し、忠世・忠佐とも大名となるが…。大久保一族の衷心と、家康の絶望的な冷淡。主従の絆の彼方にある深い闇を描く歴史雄編堂々の完結。」
最初は、周囲に光を当てることで徳川家康に焦点を当てるのかと思った。大久保一族、そして三河物語、大久保彦左衛門という江戸幕府形成初期の家臣に光を当てることで、その反射で徳川家康を描こうとしているのかと思っていた。
違った。
この本を読んでも徳川家康は見えてこない。とくに平助-大久保彦左衛門が元服して以降家康の行動に合理的な説明はない。
では大久保一党に焦点を当て、三河武士を描くためなのか。
それにしては三河武士は見えてこなかった。
それは水野、酒井、榊原、本田などさまざまな三河武士が出てくるからであり、大久保一党をして三河武士と思うことはできなかったことによる。では三河武士ではなく大久保一党、ひいては大久保彦左衛門を描きたかったのか。
それもあやしい。途中まで活躍したのは平助-彦左衛門の兄である忠世、忠佐であり、この二人は平助とは一線を画す。この二人こそ三河武士であり主役たる平助は三河武士ではない。
忠世忠佐のみが主役であれば三河武士は描けたであろう。彦左衛門を主役としては三河武士は描けない。
三河武士とは、主君のため愚直に尽くすものである。
三河武士は負けるとわかっている戦いでもうってでるものである。
三河武士は恩賞が少なくても、主君がほめてくれる限り文句を言わないものである。
残念ながら彦左衛門は頭がよすぎる。兄たちに対する仕打ちに対し考えすぎる。
家康は一代の英雄であり、地方の小領主から徳川幕府の征夷大将軍まで上り詰めた英傑ではあるが、その間の家康の気持に対する斟酌はあまりなかった。
ただ、秀吉との対決、その後の大阪の陣などあくまで大久保一族の視点から書かれており納得できるものではないと思う。
戦国時代を、三英傑の目ではなくその家臣の目から描くのは非常に面白かった。酒井、水野、榊原、本田などではなく大久保という一旗本、一大名の視点から描くのはこの時代の小説を読んでいる読者にとってみれば非常に面白い。
家臣の目から見た信玄・信長などなかなか楽しい。
しかし。
そうではない読者にとって面白いのか。もしこれが架空のSFだったとしたら面白いのか。
面白くはないな。
現実だと思うバイアスがあるから面白いのであって、まったくの架空であればあまり面白くない。銀河英雄伝説のほうが何倍か面白い。
三国志演義は史実だから面白いのか。違う。
西遊記は実在の人物だから面白いのか。違う。
銀河英雄伝説はSFだからおもしろいのか。違う。
それはお話そのものが面白いのであって、それ以外はスパイスにすぎない。
では新三河物語が面白いのは史実と思えるからか。そうだ。
史実でないとすればあまりよく出来たお話ではない。あるじたる家康に説得力がない。秀吉・家康、そして真田一族との対決に面白みがない。
ここにでてくる人物をすべてオスカーとかにおきかえちゃったら面白みはない。
楽毅は楽毅でなくとも面白かった。
孟嘗君は孟嘗君でなくても死ぬほど面白かった。
でも三河物語は家康でなければ面白くなかった。
残念なことにこの著者の日本物で面白いと思ったものは今のところない。
風は山河もスケールがちいさく楽しめなかった。
春秋戦国ものの域に達してないと思うばかりだった。
宮城谷昌光はこの新三河物語でなにを書きたかったのか。なんのために書いたのか。残念ながら理解できていない。